story

ご主人様が囁く

急に顔の近くに近付いてくるというのは、さすがにびっくりしてしまう。
何か危害を加えられると思ったわけではないが、見えない部分から現れるというのが心臓に悪いのかもしれない。


(なんでご主人様、後ろなんだろう)


私は少し不安だった。
何をするつもりなのか、何をしているのか見えないからだろう。
ドキドキしていると伸びた手は私の顔へと手を回して髪を掬った。
それを後頭部で手早くまとめ上からビニール製のシャワーキャップを被せる。
ガサガサと音を立てながら行われたその作業を私は鏡越しに見ていた。
余り毛が無いのを確認すると、ご主人様は完成した私の頭を軽く叩いた。


「こうしておけば安全だからな。
濡れたら面倒だし」

(なるほど)


何故濡れてはいけないのか私にはわからないが、きっと理由があるのだろう。
鏡に映ったシャワーキャップを被った自分の姿は何処となく間が抜けているというか可笑しな感じだが、そうするべきなら仕方ないと私は思った。
確かにこれなら髪は濡れないだろうし。
再び背後から手が伸び、今度は私を通り越して鏡の下に置かれた石鹸を取った。
私が前に居るため仕方がないが、こちらに用がある度腕が伸びるのはあまり気持ちがいいことではない。


(ご主人様がこっち側の方が便利なんじゃないかな)


私はそう思うが場所を交代する様子はなかった。
鏡に映るご主人様は手桶で浴槽からお湯を掬い、私の背後で何かをしている。
場所なんて気にしていないようだ。
もしかしたら、ご主人様には何か考えがあるのかもしれない。
鏡を見ながら私は考える。


(後ろじゃないとできないことがあるのかな)


顔も見えないしご主人様の方にあるのは背中だ。
向かい合っていればキスしたり抱き合うこともできるのに。
わざわざ背後に回ってするようなことは、私には何も思いつかなかった。
そうしている間にも、ご主人様の方は用意ができたようだ。
肩越しに鏡を覗いたご主人様が囁く。


「さてと、じゃあまず身体を洗おうな」


私は耳を掠めたご主人様の声に、ぞくぞくとした。
身体をくすぐったさに似た感覚が走り抜け、顔が火照る。
なんだか変な気分だった。
ご主人様の手が私の脇から前に伸び、腹に触れた。
敏感になった身体が手の感触にまるで喜んでいるようだった。
ふと、気付く。


(あれ?)


肌にご主人様の手以外の感触があった。
とても軽く、ふわりとしている。
それは微かな感触だが、ご主人様が手を動かすとそれは広がり私の身体に張り付く。


(あ、これ、もしかして)


香りに覚えがあった。
ご主人様の肌の香りだ。
おそらくさっきご主人様は石鹸を泡立てていたのだろう。
ご主人様は用意したその石鹸の泡を丁寧に万遍なく私の身体に塗りつけた。

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